マロースが訪れる町

 こんな大物シナリオをレビューする能力が自分にあるのかなーとビビりつつ。

 本作は、『機動戦士ガンダム』の外伝作品のひとつです。
 一年戦争のロシアを舞台として、迫り来るジオン軍を撃退する司令官に半ば間違いで突如任命された、凡才か鈍才としか言いようのない青年将校のお話というのがおおまかなバックストーリーです。

 さて、ここで原点に戻り、ゲームと小説の違いについて触れましょう。
 ゲームと小説の違いは何か。大雑把に言えば、受け手の能動性にあると思われます。
 小説の読者は、読むだけ。キャラクターに感情移入して燃えたり萌えたり、続きがどうなるのかハラハラしながら読む事はあっても、その世界に直接介入する事はできません。
 対して、ゲームは能動的にその世界に働きかけることができます。

 この作品の驚くべき所は、プレイヤーが働きかけられる懐が非常に広い事。
 たいていのSRCシナリオでは、1機2機撃墜されようが、勝利条件・敗北条件に抵触しない限り、ストーリーに影響はありません。
 しかし、この作品はその点からして違います。作戦中、運悪くか采配が悪くか、ともあれ撃墜されてしまった機体のパイロットは死亡する危険性を秘めています。当然ながらストーリー上からもそのキャラクターは取り除かれ、そのキャラクターのない世界がその後も続いていくわけです。
 それだけではなく、わずかな作戦行動の違いが、イベントの発生に伴う主人公ショーシャの成長具合、連邦軍の有利不利などに関わって来ます。戦車や戦闘機の改造案や、鹵獲機体の扱いなど、それはもうプレイヤーの選択肢が多岐に渡ります。
 言うなれば、プレイヤー一人一人に与えられる『自分がこの世界を動かしている』感。これがこの作品のシステム面での面白さの正体ではないでしょうか。

 ストーリー面では、多様なキャラクターの造形とその配置が物語を盛り上げます。
 弱気で能力不足な主人公の周囲には、彼の無能を鼻で笑う士官や、彼を見下す同期の士官がいて、実に胃によくありません。しかしそんな中、主人公の無能を認めつつも、影からサポートして彼を育てようとする士官がいたり、彼に戦場のいろはを叩き込む厳しい士官がいたり……
 言うなれば、伸びるための要素が揃っていると言えます。
 主人公ショーシャは、オープニングなど一部シーンで、『うまくすれば、ゆくゆくはロシア方面軍の救世主になりえる』事がほのめかされています。それだけにこういった、伸びる余地のある逆境とも言える配置が期待を抱かせてくれます。順当に行くならば、影から支えてくれるアヤのおかげで命を拾いながらも、戦場のいろはを教えてくれたイズムルードから得た戦術などを活かせるように成長し、彼を見下していたノーラやアメリアなどの鼻持ちならないキャラクターたちすらその実力を認める司令官へと成長していくのだろうか……そんな幻想をふと抱かせてくれるのは、キャラクター配置の妙と言えましょう。

 これを読んでお気づきかもしれませんが、本作は直接的な敵であるはずのジオン軍よりも、連邦軍内部での主人公の立場の弱さがまず最大の障害として描かれています。
 何せ主人公は新米少尉が半ば間違いのようにして特進で少佐になっただけの若造。実戦で鍛え上げられた各部隊の隊長クラスの人々にかなう点など何ひとつありません。そんな中で自分の立場を確立し、毅然と戦える姿勢を示さねばならない。あまりにも辛い環境だと言えます。
 しかし、それだけにこの逆境を乗り越えた時の様子へふと思いを馳せると……それだけで面白い。
 倒したらそれまでで終わってしまう直接的な敵よりも、乗り越えた後に蜜月の待つ障害を提示する。受け手の想像力を喚起させる面白い方法だと言えます。

 面白い造形のキャラクターも良し。味わい深いストーリーも良し。けど、物語を組み立てる根幹となるのは、キャラクター配置の構造である。
 そんな事を、このシナリオはふと思わせてくれます。

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